日本には円というお金の単位が存在します。
結論
「お金」に価値があるのではなく、お金がもつ「信用」に価値がある。
管理人が望むのは、貧乏も贅沢もない生活
本文
詳細は省きますが、現状通貨は「信用」によってその価値は守られ、当然のように金銭の取引で使う事ができます。
当然のこと、一万円と書かれたただの紙には価値はありません。
ですが、日本銀行が発券した「日本銀行券」と呼ばれる紙には価値があります。
それはなぜか。
日本銀行が発券したという信用の上に価値が存在しているからです。
これはよく言われていますが、紙幣・通貨自体に価値があるのではなく
紙幣・通貨が持ちうる信用に価値が存在しています。
重ねて言いますが
【この一万円札には一万円分の価値がある、なぜなら正式な機関が発券・発行したから】
という揺るぎない信用のうえで、価値が存在しています。
お金とはつまり信用という事です。
お金があれば、食べ物と交換ができます。衣服と交換できます。家とも交換ができます。
日本で生きていくうえで、お金さえあれば生活に苦しむことはないと言えます。
管理人がいつも悩んでいるのはそのお金についてです。
お金を稼ぐには大抵の場合、労働の対価として支払われる報酬を獲得するのが一般的です。
大抵のアルバイトの場合は自給換算、タレント業やアフィリエイトなどは歩合制、特殊な場合だとパトロンからの支援を軸に生活する人種もいます。
つまり、何かしらの対価として、お金が支払われているという事です。
管理人はお金についてだけは苦労したくないと考えています。
誰だってお金は欲しいと思います。当然、命をつなぐうえで必要なものを買うだけに留まらず、贅沢や趣向品を嗜み、生活にゆとりをもって生きたいと願うはずです。
電気もガスも水道も通っていない家賃が滞納された、がらんどうな真っ暗な5畳の部屋で夜を過ごしたいとは思わないはずです。空腹、疲労、憔悴した状態で道端に倒れこみ誰からも助けてもらえずに、後悔と悲しみに覆いつくされ、絶望の中、息を引き取るのを望まないはずです。
少なくとも管理人はそんな人生を過ごしたくはないです。
ですが、お金に囚われる人生も同じように嫌だと考えます。
一生懸命汗水流して、命まで削るほど働いて、二束三文の給料が記載された通帳の額面を見て一人にやけたいとは思いません。
数十年のローンに追われ、いつまでも減らない借金を減らすためにいつまで続くか分からない生涯の労働にため息をつきたいとも思いません。
願わくば、ひもじくもなく、贅沢もなく、お金に追われる事のない「健やかな人生」を送りたいです。
ですが、その望みというのが何よりもの贅沢、そのものであるのかもしれません。