私的意見

信じたい事を信じればいい。あなたはあなたを信じればいい。

都合の良い嘘と都合の悪い本当が入り混じった世界において信じられるのは一つだけ。

 

結論

閲覧者は自分の意見に自信を持たなくてもいい

 

しかし、その意見を抱いた根拠理由過程を何よりも大事にして欲しい

 

何を信じるかは、結局のところ個人に任せられる

 

他人の意見を信じる事が、自分の意見だという選択肢も立派な一つの正解である

 

 

本文

閲覧者はこの世界の中で、誰が一番正しいと思いますか?

誰の意見が一番信じられると思いますか?

 

もし、この問いに明確な答えを持っているならば恐らくこの記事を開いてはいないでしょう。

人というのは日々数えきれないほどの選択を無意識の中で実行しています。

その選択肢の中には、一度選んだら後戻りできないような大いなる責任と伴う選択だったり、人命すら落としかねないようなかなりの危機に瀕した選択も存在する事でしょう。

 

昔話や教訓話では、他人の意見を聞かない自己中心的な人間は決まって悲惨な最期を迎えます。

 

しかし、その方が話が面白くなるから、悲惨な最期を迎えているのであり、現実の世界ではそうも限りません。

他人の意見を聞いて、悲惨な結果につながる事も当然のように存在します。

 

忘れもしない、2011年3月11日の東北大震災での出来事です。

その日、宮城県石巻市立大川小学校の児童74人もの尊い命が犠牲となりました。

彼ら児童は先生方の安易な判断による避難先で、なすすべなく津波に飲まれました。

一部の報告によると、児童達は避難先で「このままでは危ない、もっと上の方に逃げよう」という訴えを先生方にしたにも関わらず、その訴えは退けられたそうです。

実際、本当にそのような意見があったかは管理人には定かではなく、あくまで憶測の範疇を出ません。

ですが、命が失われたという事実だけは決して変えようがないのです。

 

もしあの場に自分がいたら・・・

もし自分が児童の立場だったら・・・

 

そんな「たられば」には何の生産性もないのは遺族は百も承知でしょうが、それでも考えてしまうのです。

 

以上に挙げた例は、他人の意見を聞いて、悲劇となってしまったほんの一例です。

当然、現実にはこのような悲劇は決して珍しいわけではなく、数多の犠牲と悲しみが今までも生み出され、これからも生まれるでしょう。

人間という身勝手な生物が社会を担っていく時代において、この事実だけは絶対に変わらないです。

だからこそ、管理人は閲覧者に選択を間違えて欲しくはないのです。

そして、その選択に納得ができれば、必ず良い機会に恵まれるはずです。

他人の意見を信じるという選択だって、立派な自分の選択ですから、それをうのみにして自らが被害を被ったとしても、およそ他人を罵る事はできないはずです。

ですが、実際には自分の意見を持ちつつも、他人の意見に流され、その結果被害を被った際にここぞとばかりに憎まれ口を叩くのが、もはやある種のスタンダードのようになっています。

みっともないと思います。言っている彼らは被害者意識でそのように語っているのでしょうが、傍から見れば、責任を他人に押し付けて自らの正当性を主張しているだけの「子供」となんら変わりはないですが・・・

実際はそのような「子供達」で構成されているのが社会なのでしょう。度し難いほどの人間達で構成されていても、閲覧者がこの社会で生きていくのになんら変わりはありませんから、頑張って生きていきましょう。

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山本青雪と申します。